2019/06/23

Сказка о царе Салтане / Le Conte du tsar Saltane / サルタン皇帝の物語


ブリュッセルのラ・モネ王立劇場でリムスキー=コルサコフの”皇帝サルタンの物語”。予習に聴いてみたら熊蜂の飛行が流れてきて”このオペラの中の曲なんだ!”と初めて知ったくらい未知の作品だった。あらすじをみて”なるほど、おとぎ話ね”といちおう理解。

チェルニアコフはもちろんそのおとぎ話をそのままおとぎ話には見せない。設定は現代でグヴィドンは自閉症、ミリトリサは息子が唯一心を開く玩具の世界のキャラクターを通じて彼に心を開かせて意思の疎通を図ろうとしている。
プロローグの前にミリトリサのモノローグが入り、この状況を説明する。舞台には幕はなく3mくらいのところにドアが一つついたくすんだ金色の壁があり(モノローグの訳がここに映される)、舞台の縁にグヴィドンのお気に入りの玩具(白鳥姫の人形、リス、シュヴァリエの一団:数えなかったけれども、もしかしたら33体かも。歌詞に”33人の騎士”というのが出てくるので)が並べられている。ほとんどのストーリーはこの前舞台で繰り広げられる。

そしてどうして彼が(すなわちミリトリサと彼女の息子グヴィドンの2人が)今ここにいるのか、ということを説明するが、それがプロローグと第1幕。
皇帝やババリハ、ミリトリサの姉妹など2人以外の登場人物はサインペンで描いたようなタッチの模様とデフォルメされた衣装を着て、動き方やポーズなどもマリオネットのよう。ストーリーは現実と玩具を使ったおとぎ話が並行して語られていく。
このミリトリサの語るおとぎ話の世界の他にもうひとつの世界が示される。その世界は壁の向こうにある定まらない形の白い洞穴のような中にある。グヴィドンの頭のなかにある想像上の世界。つまり3つの世界がほぼ同時に語られていくという進行。くすんだ金色の壁が上に上がると紗幕があって”こちらの世界”と分けられている。この紗幕と白い洞窟の壁に映像が投影される。そしてグヴィドンが混乱して気持ちの整理がつかなくなると周りからサインペンで細かく左右にグシャグシャと描いたモチーフがザワザワと湧くように押し寄せて視界を遮ってしまう。

樽に入れられて海に流されるところからブイアン島に流れ着き、悪魔が姿を変えた猛禽から白鳥(姫)を助けて悪魔の魔法を解き立派な都市のプリンスになるまでの物語や、グヴィドンが両親との幸せな生活を夢想するシーンなどは鉛筆のクロッキーをアニメーションにしたものが投影される。このクロッキーはチェルニアコフ自身が描いていると知って驚いた。歌えて演じられてパーティションも熟知している上になんと絵心まであるとは!チェルニアコフは玩具の世界を通じて息子と意思疎通するというアイディアを、実話を基にしたLife, animatedという映画から得たと上演前の解説で説明されていた。だからああいうデッサン風アニメーション入れたのかもしれない。同時に観客に幼い頃に観たアニメーション映画などを思い起こして子供に返った気持ちになれる効果もあるし。

グヴィドンが想像する世界はほとんどモノトーンで(熊蜂の姿で行った王宮は母親の説明の時はカラフルだった衣装からほとんどの色を取り去ったものになっていて前舞台ではなく後ろの白い洞窟の中で演じられる。この洞窟内で起こることは彼の想像であることを示すために、他の登場人物の歌詞をグヴィドンが時々リップシンク。

第4幕で父親のサルタン王との再会シーンは現代のことで登場人物は全て普通の服を着ている。父親は再会の助けになるかとババリハや姉妹、友人(コーラス)を引き連れてくる。父親以外は協力する態度を見せるも懐疑的な様子。母親(と白鳥姫、現実の世界ではセラピスト?のように描かれている)の努力は実らず、心を開くかと思われたグヴィドンは現実の喧騒に耐えられない…人々が歌い騒ぐ中でグヴィドンは倒れ、ミリトリサの無言の叫びで照明が消えてオペラが終わる。リヴレのハッピーエンドとは全く違った現実的な終わり方。


自閉症のグヴィドン役のボグダン・ヴォルコフの素晴らしいこと!グヴィドンは第2幕から歌い出すのでそれまでは黙役で舞台にいるが、あまりにも演技が巧いので最初はプロの役者かなと思った…それが歌い始めると明るく輝くよく通る声、力強くかつしなやかな歌い回しに驚かされた!第2幕の最後で都市が出現しそのプリンスになって喜び跳ね回るグヴィドン、それまでの苦労が一気に報われた万感の思いで息子を見つめるミリトリサ…ここで舞台から湧き上がって押し寄せてくるエモーションに涙。いやほんとにヴォルコフが素晴らしくて感無量…(どこかで見たことあるような気がする…と思ったらベルリンの修道院での婚約でケニー姿で奥に座っていたテノールだったわ)

リムスキーコルサコフが3年間の船旅の間に見聞きしたものを散りばめたと解説のあったパーティション、まるで飛び出す絵本のよう。聴き手に子供の頃の気持ちを思い起こさせる。ここに演出の玩具風なところやアニメ使いの意向が重なって効果がある。アルティノグリュのダンス感ある指揮にオケがよく反応。かなり難しそうなパーティションを崩壊させずに美しく聴かせてくれた。コーラスを舞台横と上階のロジュに配してホール全体を歌声で満たすのもよかった。
そういえば解説でこの時代はワーグナーの後で音楽的に影響が感じられるし、グヴィドンにはジークフリート的でもある、という説明があった。確かにリングをどこかで聴く機会があったんじゃないかと思うメロディーやオーケストレーションがあるし、第4幕1場で他の人々は結婚するのに僕は独りぼっちとか、美しいプリンセスがいると”聞いて”彼女に会いたいと思ったりするところなどはジークフリートそのものだなと思った。


音楽の飛び出す絵本感、登場人物の衣装や動きとアニメーションによる舞台のおとぎ話感、と自閉症の息子とたった2人で暮らすという重い現実のコントラストがあまりにも激しくて厳しい。知らない音楽だったこともあって、完全にこの演出の方に心を奪われてしまった。ロシアものを扱うチェルニアコフの手腕の冴えは本当に見事で感嘆させられる。


Direction musicale  Alain Altinoglu
Mise en scène & décors  Dmitri Tcherniakov
Costumes  Elena Zaytseva
Direction artistique de la vidéo & éclairages  Gleb Filshtinsky
Chef des choeurs  Martino Faggiani

Tsar Saltan  Ante Jerkunica
Tsaritsa Militrisa  Svetlana Aksenova
Tkatchikha  Stine Marie Fischer
Povarikha  Bernarda Bobro
Tsarevitch Gvidon  Bogdan Volkov
Tsarevna Swan-Bird / Lyebyed  Olga Kulchynska
Old man  Vasily Gorshkov
Skomorokh / Shipman  Alexander Vassiliev
Messenger / Shipman  Nicky Spence
Shipman  Alexander Kravets

Parterre A 9&11

2019/05/16

Tosca

カウフマンが喉の不調のため最初の3公演をキャンセルし(その後結局全公演をキャンセル)、プルミエールの今日のカヴァラドッシはグリゴーロ。なんて贅沢な代役✨そしてカヴァラドッシのChe fai?からもうここは紛れもなくローマ!カヴァラドッシにはグリゴーロの太陽のようなそれでいてブロンズの輝きのある声、最高!今日1公演だけなので最初から最後までフルスロットルで走り抜けるのかと思ったら、トスカへの愛のささやき、E lucevan le stelle...の内向的な呻き、E muoio disperatoの爆発的な絶望までなんというニュアンスに富んだエモーション溢れる歌唱!素晴らしい!
彼は素直でその日の自己評価がサリューのパフォーマンスでだいたい想像できるんだけれども、今夜は自分で満足できる出来だったんじゃないかなと思う。いや本当に素晴らしかった。

アーニャ・トスカはヴィットリオ・カヴァラドッシの大波のように押し寄せる愛を、押し流されることなくディーヴァとマドンナの愛で受け止めるのですよ!!!あー、第1幕のデュオ、聞き応えあったわー堪能したわー。
彼女のあの美しい声、張りと輝きと滑らかさとありとあらゆるニュアンスと…。そして彼女のincarnationが凄い。フロリア・トスカになりきってる感じするもの。嫉妬に美しく(←大事)焦げていたのにOh, come la sai bene l'arte di farti amare! でうっとりと溶けるようなトスカから軽蔑と憎しみのこもった凄みのあるQuanto?のトスカ、Tieni a mente... al primo colpo... giù...の茶目っ気たっぷりのトスカ…。
だからMario... con te...のところで彼女の前でバターンとドアが閉まるとぎゃーーーー!私のトスカに意地悪しないでー!って思わず心の中で叫んじゃったりするのよねw前回彼女のVissi d'arteを聴いて初めてトスカで涙したけれども、今回トスカとしてさらにレベルアップしてる感じするわ。終演後、世界中のトスカ賛辞を集めて花束にしてハルテロスに届けたい気持ちでいっぱいになった。

スカルピアはちょっとインテリを気取った小粒な悪徳親分だった。あのトスカとカヴァラドッシの間で影が薄かったし声もときどきオーケストラに遮られてて気の毒な感じさえした。スカルピアがこれじゃあちょっと信憑性に欠ける。スカルピアはあんな奴だけれどもバロンだからノーブルさが感じられないとキャラクターが薄っぺらくなる。ターフェルは邪悪さで光っていたけれどもその点いまひとつだった印象。テジエは役者じゃない分控えめな演技が酷薄なノーブルさを感じさせてよかったのを思い出した。

エッティンガー指揮のオケは、お涙頂戴に陥らず弾むようにキレのいい演奏。外連味たっぷりのプッチーニを聴かせてくれた。映画のサウンドトラックみたいな印象だったけれども。そういう意味ではスピリチュアリテのある音楽性ではなく、舞台上の巨大黒十字架がまったく無意味に見えた。
日曜日の公演、ハルテロスが降板しないことを祈りつつ、ルックスは期待できそうなプエンテ氏が(同じアルゼンチン出身だし)若い頃のアルヴァレスみたいな歌唱を披露してくれることを願うばかり。

トスカへの最後の手紙を託せることになったカヴァラドッシ、紙を前にペンをとるも何も書き出せずに紙をクシャクシャにし、その上に突っ伏して泣き崩れる!ひとしきり泣いた後、正気を取り戻したように紙のシワを伸ばして手紙を書き始めしばらくしてペンを置き、夢見るような表情で空を見上げてE lucevan le stelle... ここはリヴレにそこまで指定されていないのでグリゴーロのinterpretationだと思うけど(アルヴァレスはこういう演技じゃなかったのでオーディの指示ではないはず)本当に上手いね、こういうシーンの見せ方。

昨夜のトスカとカヴァラドッシは、この先何が起きるか誰も知らない、という現在進行形のトスカを見せてくれた。これは演出に対してでもこの後◯◯はこうなるんだから(そういう演技はあわない)と言ったソリストにシェローが応えた言葉だけれども、それを感じさせる公演は数少ない…。


Direction musicale : Dan Ettinger
Mise en scène : Pierre Audi
Décors : Christof Hetzer
Costumes : Robby Duiveman
Lumières : Jean Kalman
Dramaturgie : Klaus Bertisch
Chef des Choeurs : José Luis Basso

Floria Tosca : Anja Harteros 
Mario Cavaradossi : Vittorio Grigolo
Il Barone Scarpia : Željko Lučić
Cesare Angelotti : Sava Vemić
Un carceriere : Christian Rodrigue Moungoungou
Il Sagrestano : Nicolas Cavallier
Spoletta : Rodolphe Briand
Sciarrone : Igor Gnidii

Parterre 12-12




2019/05/04

Götterdämmerung / 神々の黄昏


神々の黄昏、ノルンはまさにパルクのように演出されていて(どうせなら糸巻きや鋏を持たせればよかった)過去を語るノルンの原始を思わせる響きの歌唱が素晴らしかった。
演出はこのリング全体を通してとても分かりやすい。初めてリング観る人にも難しくないと思う。でもヴィースバーデンのジークリンデの服を抱きしめて息絶えるジークフリートや、パリの"Zurück vom Ring!"を叫ぶのがアルベリヒで最後にノルンに槍で殺されるという演出などを観てしまった後だとやっぱり物足りない。最後のヴァルハラ炎上で石像が倒れるとか、ブリュンヒルデがグラーネを引いて歩いて火に入るとか(それもグラーネは歩けないのでフィギュラン2人がかりで押してる)ちょっとアレだった。ラインの三姉妹も水中じゃないから仕方ないけれど、黒いカエルみたいだったし...
3人のノルンとヴァルトラウテ(右端)
ソリストはやっぱりシャーガーが群を抜いて良く、第1のノルン(写真右から2人目)とヴァルトラウテ役のシュスターも健闘。グンターのニキーチンは歌唱のラインが細く存在感が薄かった。ハーゲンのオーウェンは存在感のある歌唱だったけれども、温厚なオジサンのようで怨念と復讐の権化には見えず聞こえず。グートルーネはエルザ風の響きとラインの歌唱でいい感じだった。
ジークフリートから1日おいて復調しているかと期待したゴーキーはプレザンスセニックは申し分ないものの、声は復活していなかった。神々の終焉の幕を下ろすには力不足に聞こえた。残念…。
そういえば!私全然アルベリヒを失念していた!あんなに大事な役なのに、というかメインタイトルは彼の指輪だっていうのに。どうしてかしら…?彼のちょっと鼻にかかったような(受け口風な)声があまり好きではない、というだけではないと思うけれど。大きな謎だわ。

オケはジークフリートの時はあんなに活き活き鮮やかだったのがまたちょっとつまずいた感あり。でもお家のDMじゃないのに両方ともよく頑張ったわよね。葬送行進曲の時はジョルダンの指揮を凝視していたんだけれども、パリだったらこういう反応にはならないだろうなと感じた(これはリング全体での印象でもあり)。リングはやっぱりお家のDMが振るのがいいんじゃないでしょうかね。
じゃあバイバイMET!私たちはガルニエとバスティーユのある旧大陸に帰ります。またいつの日か!

Direction : Philippe Jordan
Production : Robert Lepage
Décors : Carl Fillion
Costumes : François Saint Aubin
Vidéo : Lionel Arnould

Brunnhilde : Christine Goerke
Siegfried : Andreas Schager
Gudrune : Edith Haller
Waltraut : Michaela Schuster
Gunther : Evgeny Nikitin
Alberich : Tomasz Konieczny
Hagen : Eric Owens


METでプレイビルの拡大版(レターサイズの縦が3インチ長い)というのがあって、ジークフリートの時に気づいて何のためかと尋ねたら普通のプレイビルでは字が小さすぎて見えづらい人用とのことだった(これについてはプログラムの中に説明あり)。2回目のアントラクトで残っていたので貰えるかと尋ねたら快くくれた(神々の黄昏のも忘れずに貰ってきた)。ラインの黄金で気がついたら全部揃えられたんだけど...でも1公演しかないシャーガーのジークフリートを入手できてラッキー。定型じゃないからどうやって額に入れようかしら?
クロ坊、ただいまー!お留守番ありがとねー😃


2019/05/02

Siegfried / ジークフリート


やっぱりシャーガーのジークフリート最高よね。ゴーキーのブリュンヒルデ以上にここまで三位一体が極まったジークフリートってなかなかいない。今まで知らなかったものに目覚める、ステージアップするというパルジファル的な要素が彼に合ってるんだろうなと思う。第1幕は高音の音程に不安定な部分がいくつかあって(ギアが合わなくて空回りする感じはいつもの彼らしくない)調子良くないのかしらと思ったものの、第2幕からは持ち直して(ジョルダンの助けあり)きっぱり鮮やかに歌いきった。最後の音は楽譜通り(ミュンヘンでのフィンケのようにcontre-utではなく)。ゴーキーはやっぱり本調子ではないようで、特に高音に厚みがなくパワー不足でヒラヒラ乾いた声を聴くのは辛かった。故にシャーガーとのバランスがいまひとつよくない。サリューの時の様子から自分でも納得のゆくパフォーマンスじゃなかったんだろうなと推察。この二人が絶好調でブリュンヒルデ&ジークフリートだったら圧巻だろうなー、聴いてみたいなー!
ミーメは歌唱的に文句なく上手いんだけど、個人的にはもっと素っ頓狂な声で半分狂っちゃったようなキャラクターで聞かせてくれる方が好きなので…。
ワルキューレの最後で打ち拉がれていたヴォータン、ジークフリートの出現に活路を見出したかのようだが、割とアクが抜けて淡々としてもいる。この曖昧なヴォータンをフォレが見事に表現。
ジークフリートとの最初で最後の対面シーン。槍を両手で頭上に掲げるのは”これを叩き折って行け”という餞でもあり、同時に神々と契約の世の終焉の柝を打たせて自分に聞かせるという雰囲気でもあった。
森の小鳥はブリュンヒルデ並みに不調なのか、バスティーユでのツァラゴワの囀りが今も耳に残っている耳にはどうしても小鳥に聞こえなかった。後宮からの誘拐のときにはもっとクリアでメロディアスな歌唱だった記憶。


オケが蘇ったようによくて、色彩感に富み、舞台と親密な緊張感があり、起伏とドラマ性のある音楽。(でもやっぱりVents、特にホルンに恒常的トラブルあるわ。ラインの黄金の時ほどじゃないけれども…)しかし第2幕のチャーミングな終わり方を聞かせてくれない観客どうにかして。カーテンが下り始めたら拍手がお作法な観客は今日日METに限らずどこの劇場でもいる。曲が最後まで終わってからカーテン下ろすように演出家は考えた方がいいかも。


Direction : Philippe Jordan
Production : Robert Lepage
Décors : Carl Fillion
Costumes : François Saint Aubin

Brunnhilde : Christine Goerke
Siegfried : Andreas Schager
Erda : Karen Cargill
Mime : Gerhard Siegel
Wanderer : Michael Volle
Alberich : Tomasz Konieczny
Fafner : Dmitry Belosselskiy
Oiseau de la forêt : Erin Morley

2019/04/30

Die Walküre / ワルキューレ


いやもう本当に今まで聴いた中でいちばん、最高のヴォータン!
まずこれまで”これぞ”というヴォータンに出会わなかったというのもある(バスティーユでのマイヤーズのヴォータンはかなり理想的だったし、ミュンヘンでの声が出なくなってしまったコッホのヴォータンから感じるものもあったが)。はるばるここまでやって来たのはジョルダン愛もさることながら、フォレのヴォータンを聴きたかったことも大きな理由のひとつ。素晴らしい歌唱と演技を披露してくれると信じていたが、ここまで感動させてくれるとは…!
彼はパーティションを正確に歌うだけではなくて、言葉にエモーションをのせて伝えることができる。バスティーユのアンフィで彼の歌うリートを何回か聴いて心いっぱいに感動したけれど、あれはアンフィのインティメートなサイズと雰囲気によるところもあるでしょ?と言われたら、うーんそうかもね、と答えたかもしれない、この夜までは。でも、METのホールでそれをやってのけるフォレ、ヴォータンでねー(感涙)。

実は今日までどうしてヴォータンがあんなに怒るのかいまひとつよく理解できなくて「あーんなに怒ってブリュンヒルデにあーんなに酷い罰を与えなくてもいいのにね」と思っていたが、さっき突然わかった。さっきというのは今でも鮮明に思い出せる第2幕最後の場面。ここの息もつかせずたたみかける展開の中、ヴォータンがジークフリートの亡骸を抱きかかえて悲嘆にくれるというしっかりした場面を作って事情を知らずに凶刃に殪れた息子への哀しみの愛を可視化し(ワーグナーのリヴレではヴォータンはフンディングの頭の上にかかる雲の中にいる)同時にこの間にフンディングは勝利を味わい、ブリュンヒルデはジークリンデを連れて逃げるというシーンが、ピットからの音楽とマッチして実にタイミングよく繰り広げられる。ヴォータンの悲嘆から怒りへの感情が怒涛のように渦巻き流れるのを感じたのはこの場面だった。フォレの力が50%、ソリストのディレクションがピタリとタイミングのあった時にだけ得られる閃きが50%かな…これは演出のおかげ、Mルパージュありがとう。

ヴォータンは愛するジークフリートを自ら手を下して死なせたくなかった(ずいぶん自分本位なご都合主義じゃないのと思うけれど、ヴォータンはそういう手段もとる生き方の神様としてリングに登場しているので)。それがブリュンヒルデの背信のせいで、ジークフリートのため(ひいては自分のため)に準備しておいた剣を自分の槍で折り、フンディングの槍の前に無防備なジークフリートをさらさなければならない(死刑執行のボタンを押すような感じ?)状況に追い込まれる。ジークフリートの死で指輪奪還のプロジェクトもおじゃんでまさにDas Ende!
SchildmaidであるけれどWunschmaidでもあるブリュンヒルデがジークムントを救おうとしたのは側から見るとごく自然なことのように思える。でも自分の意のままに動く小娘と疑いもしなかったブリュンヒルデが、目を瞑る決心をした心の奥底を見抜いて反旗を翻し苦しみの末に選んだシナリオを台無しにしたのだから、ついさっき妻に理論で言い負かされたばかりなのに感情では娘に足元をすくわれて連敗、可愛さ余って憎さ百倍とばかりに逆上しちゃったんでしょうな。おまけに沸騰点で厳罰を言い渡してしまって(それも居並ぶ娘たちの前で)引っ込みもつかないし、翻意してしまっては示しもつかない。そうは言っても燃料が注がれなくなれば熱は冷めてくるもの。ブリュンヒルデの語りを聞くうちに後悔の念がわいてきたでしょうねえ。こんなことになってしまってもうオレも本当に焼きが回った、やっぱりオレの世もお終いだな…とかなり心が弱ったと思う。そこでここまで愛娘への情愛をせき止めていた心のダムが結界して思い極まったヴォータンの告別。最初からずっと観て聴いていたらこれはもう感動しないわけがないわねー。ブリュンヒルデ最後の願いも魔法の焚き火とかシャビーなものじゃなくて、わざわざローゲを呼びつけて炎の壁をめぐらせるんだから、やっぱりそこらへんのゴロツキに愛娘を渡したくはなかったのよね。これで彼女の身はひとまず安心、とは言ってももう2度とDer Augen leuchtends Parrを瞳にうつすことはない…Das Endeの扉を開けたような気持ちがしたでしょうね(ブリュンヒルデの計画に気づいた様子もないし)…数時間のうちに最愛の息子と娘に自ら別れを告げなければならなかったヴォータン、最後に舞台下手でガックリと膝をおとしてうなだれる…ここはブリュンヒルデが横たわる岩の前(つまり舞台中央)で槍にすがりつつ肩膝をつく11年版とは違う部分だけれども、今回のバージョンの方がヴォータンの人間的な悲嘆がより濃く表されている。以上、フォレヴォータンの舞台から感じたままに。

第1幕は昨夏カンペとヨーナスの双子を観て聴いて、いまのところ彼らを超える双子はちょっと考えられない高い壁があって難しかった。特に立ち上がる時丸すぎて前によろけたりノートゥングにつかまってヨッコラショみたいなジークムントはねー、説得力ないわジークリンデと逃避行の時も何をしたらいいか分からずにオロオロしているようで、あれじゃとても頼りにならない。歌唱は二人とも余裕なくちょっとキツイ感じ。ジークリンデは第3幕のあのシーンの感動が少々目減りした。彼女来年パリでも歌う予定なんだけど、不安。ヨーナスがジークムントなのにどうしてカンペにお願いしなかった?!ジークムントは前回のパリでのリングでは良かったので期待していたのに…年月の流れは無情だわね。グロイスベックってよくフンディング役(前回のパリでも歌ってる)歌う印象だけど、彼のキャラクターはこの役に合っていないと思うんだけどな。

説得力といったらブリュンヒルデ役のゴーキーでしょう!ああいう声と歌唱とソリスト自身のキャラクターが三位一体でブリュンヒルデ。声の調子はpas très en formeな印象を受けたけれども、そんなのは瑣末なことと感じられるくらい理想的なブリュンヒルデを体現。そういえばヴォータンとブリュンヒルデ登場のシーンで拍手が出てヴォータンの最初の歌詞が聞こえなかった。ブリュンヒルデがご当地出身というのはわかるけれども…まあこういうのはそれぞれの地でお作法がありますね(ミュンヘンではシェンク演出の薔薇の騎士やこうもりで舞台転換があると拍手があったし、ヴィースバーデンのワルキューレで馬が出て来た時も拍手があった)。

DIRECTION : Philippe Jordan
PRODUCTION : Robert Lepage
ASSOCIATE DIRECTOR : Neilson Vignola
DECORS : Carl Fillion
COSTUMES : François St-Aubin
LUMIERES : Etienne Boucher
VIDEO : Boris Firquet
REVIVAL STAGE DIRECTOR :J. Knighten Smit, Gina Lapinskis

SIEGMUND : Stuart Skelton
SIEGLINDE : Eva-Maria Westbroek
HUNDING : Günther Groissböck

BRUNNHILDE : Christine Goerke
WOTAN : Michael Volle
FRICKA : Jamie Barton

ジョルダンが出てきた時フォレが投げキスしてたわね💕。アラベラで共演して以来、フィンレーが降板した時にあの難しいパリのザックスをたった1公演だけわざわざ出演中のウィーンから来て歌ってくれたり、バイロイトでも共演してるし気心知れた間柄なんでしょう。(それならばなぜ来年のヴォータンを彼にしなかったの!とも思うがキャスティングのディレクターは別にいるから仕方ないのか…)



2019/04/29

Das Rheingold / ラインの黄金 


とうとう大西洋を渡ってMETへやってきてしまった…34年ぶりの合衆国。一般販売開始時には何千ユーロも出して座席指定もできないなんてとんでもないと行くつもりはなかったが、ジョルダン指揮のリングだし…この機会を逃したらもうこの後行く気にはならないかもしれないし…と思いなおし、去年の6月に当時残っていた席を取ったのだった。その時取った席は(アコースティックの悪さはもちろん上のバルコンが視界に入るのを知りつつも)ドレスサークルの最後列。だって他にチョイスがなかったんだもの。そして月日が流れ今年の2月だったかな?グランドティアに新たに席があるのを発見。すぐにMETのカスタマーサーヴィスに電話でアップグレードを依頼してその席を確保することができた。ラッキー

パリと同じくらいとは言えないけれども思いの外普通の服装の人が多い(スーツにスニーカーの男性多し)。そして平均年齢が高い…まるでTCEのようだわ。ホールは映像から想像していたほど巨大に見えないのは、高さがあるからかしら。それと正面バルコンの幅が広いから収容人数多くなるのね。パーテールの奥行きはどのくらいなんだろう?
しかしあれだ、音楽途中の拍手、ブレスレットのジャラジャラ音、携帯の呼び出し音(電話もメッセージも両方よ)、飴の包み紙のメリメリ音、お喋り…何でもありなのねw。あ、でも少なくとも私の視界にはフラッシュで写真ってのはなかった。



いやー、神々の行く末は厳しいわよー(まあ終焉が決まってるわけだけれども)。
序奏から何やら自信無げで危なっかしかったホルンが、やってしまった大cracそれもドンナーが雲を集めて雷のシーンっていう、いちばんやっちゃいけない部分で、観客がどよめくレベルの大crac…
動くたびにギシギシ軋まないけれどもパリパリ音のするマシン、みんなが登場を待ってるのに全然上がってこないエルダ…予定時間をかなり延長してようやく上がってきたけれども、これはみんな焦ったと思うわー(40秒という数字をどこかで見た)。
音楽的には、リングチクルスはメゾンの音楽監督が振らないと指揮者もオケもお互い難しいんだろうなーとしみじみ思ったわ。ほとんど起伏がなく面白みがなかったし、怠いというか緩い雰囲気が全体を覆っている。オケの音も響きももっと立体感あってゴージャスなのを想像してたが、ジャルダン側の席だったので金管はよく鳴って聞こえたけれども、弦は平坦で存在感が希薄なのでバランスがよくなかった。
でもソリストの歌唱は細部まで自然によく聞こえたので高性能のPA設置して精鋭の音響エンジニアがいるんだろうなー。ヴォータンが本当に囁くように歌ってる部分までも、すーっと自然に聞こえてくる。そのヴォータンは70%ザックス風味のヴォータンだったわ。北欧神話の如く、人間味溢れる神様!

演出は、リヴレに忠実でとても平易でわかりやすい。初めてリングを観る人にも違和感ないでしょう。あのマシーンの動きにも映像の美しさにも感心したけれど、そこまで、なのよ。ワーリコフスキ演出のレイディーマクベスを観たばかりの脳には物足りない。

Chef d'Orchestre : Philippe Jordan
Production : Robert Lepage
Décors :Carl Fillion
Costumes : François St-Aubin

WOGRINDE : Amanda Woodbury
WELLGUNDE : Samantha Hankey
FLOSSHILDE : Tamara Mumford
ALBERICH : Tomasz Konieczny
FRICKA :Jamie Barton
WOTAN : Michael Volle
FREIA : Wendy Bryn HarmerFASOLT : Günther Groissböck
FAFNER : Dmitry Belosselskiy
FROH : Adam Diegel
DONNER : Michael Todd Simpson
LOGE : Norbert Ernst
MIME :Gerhard Siegel
ERDA : Karen Cargill

席はグランドティア4列目9−11。ギシェにピックアップに行ったら封筒を2通渡されて”???”と開けてみたら、ひとつは最初に買ったドレスサークルのチケットの束だった。2つのチケット、同じデザインだけれども、紙質とフォントが違うのよ。

2016/03/01

Die Meistersinger von Nürnberg / ニュルンベルクのマイスタージンガー(ONP)演出について


2013年のザルツブルクとの共同制作で演出はヘアハイム。当時テレビでライブ放映された時、前奏曲の部分から「これは観たい!」と引き込まれるものだったのを思い出す。今回ヘアハイムはアシスタントに任せきりにすることなく、自らパリにやってきて演技をつけた様子がポートフォリオに載っている。

セノグラフィは19世紀前半のビーダーマイヤー様式をテーマにしていて、この時期はワグナーの幼少期と重なるのでグリム童話やおもちゃなどで子供の世界を表すのに納得できる。またビーダーマイヤー様式自体がそれまでの豪奢でヘビーなエンパイア様式に反してシンプル、洗練、気ままさを追求したことも新旧の対比がテーマの作品によく馴染む。

おもちゃといえばニュルンベルクは世界最大の玩具見本市が開かれる場所だし、第3幕でフュルトの娘たち(巨大な人形)は機関車に乗ってやってくるが、ドイツで最初に旅客蒸気機関車が走ったのが1835年ニュルンベルクとフュルトの間なので、よくここまで考えた演出だなあと感嘆する。もちろん舞台上の機関車は当時のアドラーという機関車を模してある。

ちなみにロバはグリム童話のロバの王子ではなくて、シェークスピアの夏の夜の夢に出てくるボトム(確かに頭はロバだが身体は人間)。同時であるミッドサマーナイトとヨハネス祭前夜の乱痴気騒ぎの関連付けと、ワグナーがヴェーゼンドンク夫人に送った手紙の中でシェークスピアの笑い、ユーモアについて語っていることにちなんでいるらしい。


この演出のベースになるのはザックスとベックメッサーは表裏一体、2人で1人のワグナーであるというレクチュールで、現実と幻想の世界をプロジェクションマッピングとセットの縮尺をうまく使って見せていて、ワグナーが両方の世界を行ったり来たりしながら創作していたであろう状態にも思いが至る。

夢の中でインスピレーションを得たザックスが寝室から飛び出してきて机に向かってそのメロディー(詩)を一心不乱に書き留めたり、書いたものを窓際で見直したりしている途中で前奏曲が始まる(fで始まる前奏曲に驚いたザックスは我に返って客席を見渡す)。
そして最後、ワグナーの胸像の頭にあった金の月桂冠をとってためらいながらも思い切って自分の頭にのせると同時に何か見えない力に打たれたようなザックスは人々の間に倒れこむ。音楽が進んで人々が左右に分かれると一番最初と同じ寝間着姿で床に這いつくばりこれまた一心不乱に紙に何か書きつけている人間の姿。興がのって作曲中の音楽を指揮するジェスチャーで立ち上がり、顔を上げたその人はベックメッサーなのだ。

それを表す演出がとても細かくつけられていて、例えばヴァルターの詩を床に横たわってディクテするザックス、この時ヴァルターは彼の背後で歌っているが、彼はヴァルターの姿を見ることなく彼とともに歌いながら(声は出さずにリップシンク)書いている。つまりヴァルターの歌は既にザックスの頭の中にあってそれを書き出しているということ。
この後に工房にやってきたベックメッサーがザックスに向かってなんやかやと文句をつけるが、この時にも一緒にリップシンクしている部分がある(全部ではないところがポイント)。

ザルツブルクの映像を見ると、第1幕でヴァルターの歌に魅了されたマイスタージンガーたちはうっとりとした様子で目を閉じ、彼の歌とともにリップシンクしているので、ヴァルターの歌が旧弊をいとも簡単に凌駕する魅力があること、旧態然とした人々の心にも響く普遍性を示しているのかもしれない。でもここまで細かいと相当舞台に近いと見えないし、物理的に見えたとしても気づかない可能性も多々あるが、手を動かすタイミングと速さまで指示したというヘアハイムのこだわりが感じられる。


そして3年前から手直しされた部分もあったので気づいたところをいくつか(変更が見られた衣装やカツラもあり、セットの壁の色合いも明るめに感じられた)。
ラストシーン、ベックメッサーは周囲の人々を追い払い尊大な表情で暗転して終演だったが、それをなくしておそらく楽曲完成の喜びを身体全体で表したあと深くお辞儀をして終わるようになっている。
第2幕の大混乱シーンの最後、ザックスはヴァルターを自宅に導き入れた後ドアの前で振り向きエヴァに父親の家へ戻るように指で示し、エヴァは憤懣やる方ない様子で家に入る(ザルツブルクではそれぞれ普通に家に入ったため、フォレがザックスだった日にはこの演技はなかった)。
同じく第2幕のシーン、エヴァに扮したマグダレーナはラプンツェルのように三つ編みの髪をおろしたが、時間を潰すために編み物をし長~いマフラーを下す(これはベックメッサーが首に巻くのでマフラーの方が自然)。
第3幕でポグナーがヴァルターにマントを着せかけるシーンで台になっていた巨大な本2冊がなくなる(歌のシーンではもちろんある)。
またベックメッサーがザックスに握手を求めるが、ザックスはただ背を向けるだけではなくその後腕を払うような仕草で拒否の姿勢をさらに明確にしている。


とにかくよくできた完成度の高いプロダクションだと思う。意味不明な解釈や不可解な読み替えで観客の意識を不必要にそらせることなく、音楽とストーリーを素直に無理なく楽しむことができるのは特にこの長い作品の場合はありがたい。演出家だけがわかる口実の垂れ流しや、ねじれたポリシーの押し付けも妙な捻りもなく、多くの観客が見て幸せな気持ちになれる演出は、プレクシグラスを多用して観念的な演出が続いた後だったこともありストレートに楽しめた。
最近のNPプルミエールにありがちの演出チームへのブーイングがなく、盛大な拍手とブラヴォーの声を送られたヘアハイムは相当嬉しかったのか、万歳をしながらコーラスの前を走り回っていて微笑ましかった。
Merci Monsieur Herheim !

Mise en scène  Stefan Herheim
Décors  Heike Scheele
Costumes  Gesine Völle
Lumières originales  Olaf Freese
Réalisées par Andreas Hofer et Stefan Herheim
Vidéo  Martin Kern
Dramaturgie  Alexander Meier-Dörzenbach